冷蔵技術が生まれる前、江戸前鮨とはすなわち保存の技だった。酢で締め、 醤油に漬け、煮て、押す — 江戸の屋台で安全に売るには、それしかなかった。 弁天山美家古寿司は1866年、握り鮨そのものを考案したとされる華屋与兵衛の 流れを汲む初代が、浅草寺の鐘楼のかたわらに開いて以来、その本来の正統を 供し続けている。店には今も古い文法が丸ごと生きている。づけ(醤油漬け)、 酢締め、昆布締め、煮切り(刷毛で塗る煮切り醤油)、そして ツメ(濃く煮詰めた甘だれ)。鮨史の著作もある五代目・内田正氏は、 にやりと笑ってこう言う。「今は生が流行りでしょう。うちの鮨は時代遅れ なんです」。六代目(血縁ではなく一番弟子)は、あえてその姿を守り続けて いる。
何を食べるか
小肌(酢で締めた鮗 — 江戸前の職人の腕が測られる一貫)、醤油に漬けた鮪、 柔らかく煮て代々継ぎ足したツメを重ねた穴子、煮蛤、昔ながらの手法で 仕込んだ烏賊、海老のすり身を巻き込んだ玉子焼き。コースは¥11,660〜18,260、 木の下駄に数貫ずつ運ばれてくるので、食べている間に乾いて待つ鮨がない。 日本を代表する食の漫画『美味しんぼ』は五代目を常連キャラクターとして 登場させ、作者は空港からまっすぐこの店へ向かうと言われている。
予約の実情
電話のみ、日本語で — 03-3844-0034、オンライン予約は一切ない。そして この店は掟に本気だ。三十分以上遅れれば予約はその場で取り消される。 十六席、月曜と第1・第3日曜が休み。だが《それ以外の》日曜は12:00〜18:00 の通し営業 — 東京の本格鮨でほぼ皆無の昼下がりの一枠で、浅草寺の午前と 自然につながる。日本語の電話一本で通常の計画期間内に席は取れる。 三十分ルールの確認も、営業している日曜の見極めも、渡航前のその一本で 片づく。
こんな方に
「新鮮」はもう十分に食べた、冷蔵庫ではなく二世紀分の技を宿した鮨を 味わいたい方に。あるいは浅草の一日を組み立てていて、寺と鐘楼と、その 傍らで生まれた料理をひとつの午後にまとめたい方に。



