唐津は玄界灘に臨む城下町で、二つのことで名を知られている。430年続く焼き物と、そして七席の鮨だ。松尾雄二は地元の家業の鮨屋で育ち、その後二年をかけて東京へ通い、銀座で一世代の職人を育てたカウンター・きよ田で修業を積んだのち、1993年につく田を開いた。そこには開店以来この店を貫く一つの信念があった。唐津の海がこれほど豊かなら、なぜ東京を真似る必要があるのか? 松尾はその結晶を唐津前 — 古い東京で磨かれた〆や漬けといった江戸前の技を、玄界灘の魚に施したもの — と呼ぶ。ミシュランは二度にわたりこれを二つ星に選び、県内で唯一その栄誉に浴した店となった。
いただくもの
米は高校時代の友人の田で穫れたもので、赤酢と塩だけで調味する — 砂糖は使わない、古い江戸の流儀だ。魚のおよそ八割が地物である。冬の脂を湛えたクエ、その朝に船から揚がったばかりのイカ、昆布締めにした赤海老、そして東京のカウンターがまず扱うことのない有明の干潟の貝。これらが中里隆による唐津焼に盛られる — きよ田への紹介がこの物語のすべてを始めた、まさにその陶芸家である。海と、米と、土が、同じわずか数キロの内に収まっている。
予約の現実
カウンター七席、一日二部、月火は休み — 計算すれば、二つ星のカウンターで週およそ百席分しかない。予約は電話と、三ヶ月分の席を所定の日の正午にまとめて開放する日本語の予約システムのみ。海外プラットフォームでの取り扱いはなく、金銭で割り込めるウェイティングリストも存在しない。海外からとなれば、日本語の告知ページを見張り、正しい時刻に正しい言語で佐賀の番号へ電話をかけることになる — それは東京のデスクにとっては日常業務にすぎない。
こんな旅人に
福岡(アジアから日本へ入る最も容易な玄関口、直通列車で80分)に降り立ち、町全体が食事の一部となる二つ星の晩餐を求める人へ。呼子の朝のイカ市場、あなたの鮨の下にある器を焼いた当の陶芸家の窯、そして1893年創業の木造旅館・洋々閣での一夜がそこに連なる。



