北海道には、昔から魚があった。二十世紀後半まで欠けていたのは、その魚を江戸前鮨へと仕立てる洗練された江戸の技である。東京の職人技が北へと渡り——そして思いがけず世界へと広がっていった物語は、札幌のある一軒の鮨台を通して語られる。これはその系譜の物語だ。
江戸前、北へ——嶋宮と「すし善」
1943年に小樽で生まれた嶋宮勤は、銀座を代表する鮨の名店のひとつ「中田」の中田一雄のもとで、東京の伝統を学んだ。1971年、彼はその修業を故郷へ持ち帰り、札幌すすきの地区に「すし善」を開き、のちに本店を円山へと移した。江戸の技と北海道のずば抜けた海の幸を結びつけ、北海道に江戸前鮨を確立した先駆者として、彼の名は語り継がれている。
江戸の技は、北の魚に何をもたらすか
この結びつきが重要なのは、北海道の食材庫が東京のそれとは違うからだ。利尻や積丹の雲丹、牡丹海老、北寄貝、秋のいくら、オホーツク沿岸の深紅のきんき——この島を象徴する食材は、鮮度こそすべてという考えのもと、生のまま手を加えずに供されるのが普通である。札幌の江戸前の鮨台は、その正反対の信条を貫く。締め、漬け、熟成させ、煮る——地元の魚が、より一層その魚らしく味わえるように。脂ののった北の魚に負けるものかと仕立てた酢飯、そのままのいくらに代わる醤油漬け、島自らの昆布を使った白身の昆布締め——嶋宮の流派が実際に変えたのは、まさにここである。北海道名物の毛蟹——日本の蟹シーズンガイドで取り上げる冬の風物詩——でさえ、これらの鮨台では単に茹でられるのではなく、江戸前の仕事を施されて登場する。
札幌から世界へ
一軒の地方の鮨台として始まったこの店は、やがて発射台となった。「すし善」の伝統に学んだ門下は日本各地へと広がり、その系譜は「おのでら」グループを通じて世界的な規模に達した。同グループは銀座の旗艦店を起点に、上海、ホノルル、ニューヨーク、トロントといった都市へと国際的な鮨事業を築き上げたのである。こうして札幌に根を持つ流派は、江戸前のもっとも世界に知られた顔のひとつとなった——紹介制のみを貫く東京中心部の鮨台とは、実に対照的な存在である。
日本各地に広がる「すし善」一門
その系譜は広く枝分かれしている。
- おのでらグループ — 銀座の旗艦店に加えて海外にも鮨台を構え、世界規模の総料理長制のもとで運営される。
- 「すし善」で修業した職人たちが開いた、北海道をはじめとする各地の分家。
- 東京の名門との交差。修業が「すし善」とすきやばし次郎の系譜の双方に連なる、銀座の名高い職人もそこに含まれる。
簡単な系統樹を示すと——
- 中田(銀座)— 中田一雄
- 嶋宮勤(すし善、札幌、1971年)
- おのでらグループ(銀座および海外)
- 各地の「すし善」分家
- 嶋宮勤(すし善、札幌、1971年)
この系譜を今、味わう
訪れる人にとって、そこから得られる教訓はシンプルだ——世界水準の江戸前は、東京だけのものではない。しかも札幌なら、意味のある差で安く味わえる。市内の一流カウンターは概ね一人あたり¥15,000〜30,000。東京のトップ店で今や標準となった¥30,000〜60,000を下回る。予約もずっと穏やかで、リードタイムは数か月ではなく数週間、首都のような紹介制の門番はほとんど存在しない。実際の予約の手順は北海道の飲食店予約ガイドに、すすきのの深夜のカウンターから「すし善」本店が腰を落ち着けた円山地区まで、街の食べ歩きは札幌を食べ尽くすガイドにまとめている。冬に旅を合わせれば、同じ鮨台で蟹と雲丹の季節の中心に身を置くことになる。これらの枝がどのようにつながっているか、その全体像については、私たちの江戸前鮨の系譜図をご覧いただきたい。北海道へお越しの際は、ぜひ当デスクへお声がけを。あなたの一夜にふさわしい鮨台をお探しいたします。