上質な鮨がどこから来たのかと問えば、たいていの答えは一つの有名な名前で止まってしまう。だが本当の物語は一本の家系図 ― 名人、弟子、そして独立した分家が、およそ二世紀にわたって連なる鎖である。これを理解することこそ、日本で美味い鮨を食べるための最良の方法だ。目の前に供される職人技を予言するのは、名声ではなく血筋なのだから。
起源 ― 華屋与兵衛
手で握る握り鮨 ― 味付けした小さな酢飯の枕に魚を載せ、できたてを食べる ― は、文政年間(およそ一八一八年〜一八三一年)の江戸(かつての東京)で生まれた。最もよく功績を認められる人物が華屋与兵衛であり、その屋台は与兵衛鮨として記憶されている。松が鮨で知られる店や、毛抜き鮨と呼ばれる毛抜き様式の店とともに、「江戸三鮨」の一つに数えられている。
これは後に至って儀式のようになる以前の、忙しい都市のためのファストフードだった。しかし与兵衛の手法 ― 素早く手で握り、屋台で供する ― は、今日のあらゆるお任せカウンターの直接の祖先である。
三つの源流
近代に入ると、評論家たちは今日の鮨店を三つの源流に辿った。すべてがそこから枝分かれする幹だと考えればよい。
- 与兵衛の系統は、与志乃鮨(長らくトロの握りの発祥とされる)や、人形町の喜寿司として知られる店へと受け継がれていった。
- 千住みやこの系統は、浅草の弁天山美家古寿司や、その主人が「握りの神様」と称されたみやこの店を経て、さらに鶴八や新橋しみずの名へと連なった。
- 二葉の系統は、職人の派遣組合を営み、名高い名人の一群を輩出した ― 清田と二葉の系譜で扱う、塩と赤酢による古典的な流派もその一つである。
銀座の創業三店
昭和期、三つの店が銀座を、そしてそれを通じて現代の高級鮨を定義するに至った。
- 久兵衛(一九三五年) ― すべての中で最大の人材の供給源であり、鮨の「学び舎」として記憶されている。
- 与志乃(一九四九年) ― 小野二郎が修業した店であり、すきやばし次郎の系譜の源。
- 中田(一九五〇年) ― その弟子たちは江戸前を北海道にまで運んでいった。
これらは銀座の鮨創業店の案内で詳しく扱っている。現代の主要な鮨店で、この地図の外にあるものはほとんどない。
系譜の読み方
鮨の系譜が一本のきれいな線を描くことは稀だ。職人はしばしば複数の店で修業し、枝は交差する。食べ手にとって大切なのはもっと単純なことである。ある店がどこで修業したかが、期待すべきもの ― 酢飯の味付け、握りのテンポ、一貫ごとの古典的な「仕事」 ― を教えてくれる。予約が叶わないとき、家系図は同じ流派で、ほぼ同等の職人技を持つ兄弟店へとあなたを導いてくれる。
それこそが、当デスクがお客様の席を考えるときの流儀だ。名声だけによるのではなく、職人がどこで学んだかによって。ご希望の様式をお教えいただければ、あとは家系図が導いてくれる。