もっとも影響力のある鮨のカウンターが、必ずしももっとも有名な店とは限らない。青山の小さな一室「海」はその好例だ。二十年ほどのあいだ、ここは静かに職人たちを育て、彼らはやがて自らの星を勝ち取っていった。いまや福岡で三つ星のカウンターを構える者もいる。これは、その系譜の物語である。
青山のカウンター「海」
「海」の二代目・永野光康は、およそ二十二年にわたって店を率い、その名を築き上げたのち、2015年に五十二歳で急逝した。このカウンターは、最上級の鮪を土台にした握り中心のおまかせと、温かく活気ある接客で知られていた。その根底にある信条は、鮨を握ることは誰にでも学べる——真の技は客の心をつかむことにある、というものだった。
永野の弟子たち
永野は少数の後継者を正式に認めており、彼らのカウンターは、その世代でもっとも語られる店のいくつかとなった。
- さかい — のちに福岡で「鮨 さかい」を創業。
- 天本 — 麻布に自らのカウンターを開き、正統の後継者と認められる。
- 中村龍次郎 — 店を受け継いだのち、東京で自らのカウンターを開く。
簡単な系統図を示すと——
- 海(青山)二代目:永野光康
- さかい(鮨 さかい、福岡)
- 天本(麻布)
- 中村龍次郎(東京)
さかいと福岡の三つ星鮨
この系譜のもっとも際立った達成は、東京の外にある。福岡の「鮨 さかい」は、そのミシュランガイドの頂点へと昇りつめた——この青山の一門が、まさに最高峰の技を生み出したことの証であり、真剣な食い手がいま南へと目を向ける第一の理由でもある。九州が旅路にあるなら、九州の食への玄関口としての福岡についての当ガイドをご覧いただきたい。
今日に続く系譜
「海」そのものは後の世代の職人たちのもとで続き、一方で永野の弟子たちは、都心の東京から福岡までのカウンターを支えている。食べ手にとっての教訓は、江戸前のすべてに通じるものだ——血筋は旅をする。「海」一門のカウンターは、たとえもっとも名高い一軒にたどり着けなくとも、名工から学んだ握り第一の技を供してくれる。それは当社の江戸前鮨の系譜・家系図でも辿った地図である。ご予定と都市を当デスクにお伝えいただければ、その席をお探しします。